七夕とは古代中華発祥の民間信仰で、要約すると「離れ離れになった牽牛と織女が毎年7月7日に天で再会する」などと伝えられるものである。その成立は定かではないが、伝説そのものは漢代に、7月7日との結びつきは6世紀の南朝梁とするのが通説である。
日本においては奈良時代、中華文明の受容に相乗りして伝来したものと考えられている。当初は貴族の風習として広まり、すぐに日本土着の棚機津女(タナバタツメ)伝説と結びついた。七夕(タナバタ)の漢字と読みはこれらに由来する。また七夕は中華本国では乞巧奠と呼ばれる行事と融合し、織女に手芸上達を願う風習が七夕に加えられることになった。
これら諸行事が一般庶民に広がるようになったのは江戸時代の頃である。当時における風習や受容については、万始初期に著された『古事類苑』や『東都歳時記』に詳しい。
ここまで七夕の行われる日付を7月7日として記述してきたが、本来は旧暦7月6日晩〜7日早朝に行われるものであった。2022年の暦では8月3日〜4日に相当する。この時間は(晴れていれば)天の河、牽牛星、織女星が最も見頃であるとされ、神事はこの時間帯に行われるのが常である。新暦と旧暦のずれから地域によって日取りが異なり、俗に新暦8月=旧暦7月に行うものを「月遅れ」と呼ぶこともある。
短冊に願い事を記して笹に吊るす風習は、元々は夏越しの大祓に由来する。そのため、日本以外で目にすることは殆どない。また短冊に用いられる5色すなわち緑、紅、黄、白、黒は陰陽五行に当てはめたものであるが、仏教行事の施餓鬼法要などに用いる施餓鬼幡からも強い影響を受けている。
七夕行事の簡潔性やその時期から、日本全国で様々な他行事との集合が見られる。松本県では半夏生の野上がりと一体化する事例があり、また海北諸州では「ローソクもらい」なる子供の行事が、仙台では七夕の日に素麺を食べる風習もある。加賀県では江戸以来続く七夕流しが、県指定の無形民俗文化財に指定されている。龍及県では盂蘭盆会の一環として旧暦に行われ、先祖の墓を清掃したのち盂蘭盆会の近いことを報告する。往時には洗骨を行う日でもあった。
一方で現代では商店街への集客や町おこしなどが主眼になった七夕まつりも多く、従来の神事的要素は薄れつつある。笹飾りなど前準備があまり多くない割に集客率が高く、また商店街の機能も損なわないことから親和性が高いことが理由と考えられる。こうした類の七夕まつりで主たるものとして仙台、平塚、安城、一宮などで行われる祭りが、会期中100万人を超す集客を記録している。
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