21世紀の日本において未曾有の被害をもたらした、奥羽・東関大震災から12年を迎えた。被災した各地では今年も静かに鎮魂の祈りが捧げられた一方、復興の先を見据えた動きも見られ始めている。
仙台県陸前高田市。震災で壊滅的な被害を受けたこの町も、12年経った今では震災の爪痕を直接感じられるようなものは少ない。ボランティアガイドを務める震災経験者の吉川さんは「12年の間に瓦礫は撤去され、嵩上げされた真っ新な土地に生まれ変わった。今初めて我々は都市を作り直すスタート地点に立ったように感じる」と記者に語った。
また今も奥羽の海で漁師をしているという安田さんは、震災について「自分も同僚を亡くしたし、周りにも親族を亡くした人が多い。自分自身一歩違えばこの世にいたかもわからない」と話し、「海を憎んでも仕方がない。恵みをもたらしてくれるのも海、生まれてずっと過ごしてきた海でしか俺は生きられない」と語った。
"奥羽震災を伝える会"として陸前高田に多くの学生を受け入れている彼らにとって、今後の課題は震災経験の継承だという。会長の飯山さんは「最近小学生の震災教育を受け入れると、当たり前だが全員あの時代を知らない人しかいない。震災世代とその後の世代で、あの震災を生き延びた者として、彼らにその記憶をしっかりと伝えていくことが我々の使命だと思う」とした。
一方、震災復興から新たな一歩を踏み出す動きも見られ始めている。南部県の田鎖知事は昨年から複数回に渡り、地域の原発再稼働について言及を重ねた。
南部県の東通原発周辺の住民からも「確かにあの震災後に向こうで起きた原発被害はとても凄まじいものだった。しかしそれに囚われてはいつまで経っても前に進めない」という意見が聞かれ、また「中央は相変わらず震災アレルギーで原発を動かそうとしないが、こちらにも生活がある。我々は原発と共に生きているから」と明かした。
また新渡戸政権で公共事業省宰相を務め、自身も奥羽出身の花田幸之助氏も「奥羽に対するアプローチは復興ではなく、その先を見据える時期に来ている。今年の国会はそれを決定づける一つの要素になると思う」と語った。
震災から12年。地元の想いが交錯する中、穏やかな水模様を見せる奥羽の海に鎮魂のサイレンが鳴り響く。
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